自由な大人

今週のお題「何して遊ぶ?」

晴れた日の公園が好きだ。

人に誘われないと自分から遠出をしないタイプだけど近所をうろうろするのはよくする。特に好きなのが公園に行くこと。公園は大きければ大きいほどいいけれど、ベンチがたくさんあって木と芝生が多く、さらにブランコまであれば多少小さくても十分素敵だと思う。嬉しいことにウチの近所にはこれら全てを満たす公園がいくつかあるので今日はそこまで行こう!と決めた。いつも散歩する時は大抵イヤホンを耳につけて音楽を聴くことがメインになっているけれど今日はなんだか気分じゃない。なんならスマホだって煩わしくて、家の鍵と一昨日買った益田ミリさんの新刊「今日のおやつは何にしよう」だけを持って出発。太陽が明るくてとってもいい天気だ。日焼け止めを塗っていないことに気づき、気持ち帽子を深くかぶる。

ものの数分で到着。平日のお昼の公園はぽかぽかで木漏れ日も美しくとってもとても素敵な雰囲気なのに人っこ一人いない。いい感じに木陰と日向が混ざり合うところに丁度ブランコがあったので座って読書開始。ゆらゆら揺れながら読む短めのエッセイは、誰もいない公園ののんびりした時間の流れと相まって最高だった。足でブランコを揺らしたり、ちょっと漕いだりしながら本を読む。時々人が通るけど特に気にしないでゆらゆら。数年前の私なら人が通るたび「変な人だと思われたんじゃないかな」と思って緊張していたけど、みんな自分の人生を生きていて多少変なくらいじゃ気にも留めないものだと分かればどうでも良くなった。もし通りがかったのが子供だったら退こうとだけ決めて引き続きブランコに揺られる。こうして人は鈍感になっていくんだなぁ。

本を読むのも少し飽きたのでポケットにしまい、ブランコを思いっきり漕ぐ。体が木陰と日向を行ったり来たりして少し目がチカチカした。空を見上げると飛行機雲が出ていたりして、映画中盤ののんびりしたシーンのようだ。意外だったのはブランコを漕ぐのはとても疲れるということ!体が遠心力で引っ張られるたびそれに耐えるのを繰り返すのは最初はなんともないけど20往復したあたりから「なんか…疲れたかも…」という予感がした。子どもの頃はどうだったかなぁと考えてみたけれど、家の近所のブランコはいつも人気で数回しか遊んだことがなかったからうまく比較できなかったので、ブランコはそういうものだ!と結論。

だいたい公園に来る日はお弁当かおにぎりも一緒に持ってきて公園でぼーっとしながら食べるのだけど、今日はもうお昼を食べていたので省略。本も読んで、ブランコも漕いだ。満足。さぁ家に帰ろう。

こういうことをしているとこれを共有できる誰かがすぐそこにいたらなぁと考える。マッチングアプリまたやるかなぁ、でも私は人と連絡取り合うのすごく苦手なんだよなぁ。それに誰かと足並み揃えるわけでもなく一人で好き勝手やっているというのも、自由と責任を感じて大人になった気がするから素敵なのだ。何事も一長一短、そういうこと。

帰宅してスマホを見ると友人からバーベキュー場の予約を取ったよ〜と連絡が来ていた。今度行く予定の屋外アスレチックパークでは友人の希望でお昼はバーベキューになったのだ。私だったらしないだろう選択。きっと楽しくなるはずだ。

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ん〜〜まぁ、やるよ(勉強)。

なんだかやる気が出ないのだ。

どうしよう、試験日は7月で、もう5月になろうとしてる。先週から全然まったくやる気がどっか行ってしまって、だけど「そう言う日もあるね」なんて自分を可愛がってベッドで横たわっていたらもう4月最終週も半分を過ぎようとしている。この2週間で何をやったかといえばニンテンドースイッチではたらくUFOを買って2日でストーリークリアをしたことと、久しぶりに起動させたポケモンでカヌチャン(ショッキングピンクの赤ちゃんのような見た目でガラガラに似た鋼の武器を握りしめている可愛い子)の能力「相当優秀」を捕まえてデカヌチャンに進化させたことくらい。カヌチャンはデカヌチャンになってもとっても可愛くて、その上体の倍くらいのハンマーを振り回すとっても強い子になった。名前も私と似ているし、私のテーマカラーももうずいぶん前からピンクなのでやっぱりすごく可愛い。デカヌチャンは今42レベルなのだけど50レベルの相手にも果敢に立ち向かう凛々しさと勇ましさがピンク色の体のなかに詰まっている。見習うべきポケモンだ。かわい〜〜♡

とはいえそろそろ飽きてきた。私の今回のポケモン目標はカヌチャンをデカヌチャンに進化させることだったので丁度ひと段落ついたし、YouTubeも興味のあるものは退職して生まれた自由時間でほとんど見たから飽きた。今は散歩しながらポッドキャストで歴史や雑談を聴いて楽しんでいる。そもそもYouTubeも雑談をしてくれるVtuberさんを中心に見ているのでやっていることはあんまり変わってないけどね。

モチベーションを上げるやり方はたぶん知ってる。勉強Vlogを見たり、先の予定や人生設計について考えたりすること。そうしたらちょっとはやる気になるのは知ってる。あるいは場所を変えてしまうこと。公民館とかカフェに行くこと。でも「明日は外で勉強するぞ!」と決めた時に限って雨なのだからしかたないよね〜と、家にこもってもう見たいものなんかないYouTubeを開く。この瞬間が人生で一番嫌いだ。プラスにならないとわかってるのに手はスマホを握り、指はショート動画をスライドし続ける。こうやって家の外に出ない1日を過ごすとまるで不健康なカタツムリになったみたいで最悪になる。だから帳尻合わせみたいに毎日3回ほど散歩に出て、2〜30分の筋トレをして自尊心を保っているのだ。

ああ〜〜〜〜だめだ。今私が感じているこのモヤモヤの正体を私は必死に後回しにしようとしているね。おまえはそれが何か知ってるのに「やりたくないよ〜〜」という気持ちに押し流されてる。たった10分でもしてしまえばスッキリするのにね。なんでやりたくないんだろう。ね?

というわけで「やりたくない」理由を箇条書きにして、このわがままな私の傾向と対策を練ってきます。やる、やるよわかってるよ。うるさいなぁ勉強するったら!

書くところたっぷりの高橋書店の手帳(左上)と定期的に読む益田ミリさんのエッセイ(左下)、モチベが下がったら読む週末北欧部chikaさんのコミックエッセイ(右下)

 

私の30代が良い時代であってほしい

 

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必要以上に着飾らないでいたい。

ユニクロの服は着たくないGUで買い物したくない高見えコーデなんかインスタで探したくないSHEIN買ってみた動画はおすすめに出ないでほしい。

安いマヨネーズを探して何軒もスーパーを回りたくない卵が高くても遠慮せず使いたい安い野菜でローテンションしたくないドンキで買い物したくない節約レシピなんか興味ないままでいたい。

LILY BROWNの服を着たいPUBLIC TOKYOの服が欲しい心斎橋パルコで気がすむまで買い物したい本当は好きな服なんか2着あればいい。

近所の居酒屋にふらっと入りたい一人ご飯で平気な顔をしてたいパン屋さんで何も考えずパンを買いたいミルクティーを飲んでもお腹を壊さないでいたい。

体重は50キロがいい髪はいつもツヤツヤがいい肌荒れ知らずでいたい菅田将暉みたいな鼻がいい小松菜奈みたいな瞳がほしいささやかなこの顔を好きになりたい。

広い部屋に住みたい観葉植物でいっぱいがいいインスタでみかけるみたいな部屋にしたい白米みたいな形の鏡を置いて自撮りして優越感に浸りたい。

たとえハイソワナビーといわれても、鏡もない洗面所で歯を磨きたくない。

 

最後のモラトリアムとギャップイヤー

「恋人も欲しいけど、本当は“一人の人間と関係を積み重ねることができた“って実績が欲しいんだ思う」

ほんの1分前に今年は恋人を作る!と息巻いた友人はスタバでそう言った。社会人になって以降恒例となった年末の食事会。居酒屋で飲み食べ、まだ話し足りないよねと立ち寄ったスタバはほんの少し静かで、そのせいか話のトーンも少しシリアスだ。私も、と相槌を打つ。私も、本当に欲しいのは恋人がいることで得られる社会からの“きちんと関係を構築できる、おかしい所のないまともな人“という免罪符だよ。もちろん、そこには二人の間の信頼とか楽しみとかも欲しいから免罪符だけが欲しいという訳ではないけど。強いていうなら、お守りに近い。あってもなくても普段の生活は変わらないけど、何かあったときに心の拠り所になるし、実際に不躾な人からの「恋人はいないの?」「どうして?」なんていう質問から守ってくれる。(恋人がいることで面倒なこともあるけれど…)

私たちは高校の同級生で、付き合いとしてはちょうど10年経ったくらいだ。当時はこんなに長い付き合いになるとは少なくとも私は思っていなかった。大学生になればみんなまた各々別の友人との蜜月を過ごしてきっと忘れられてしまうし、忘れてしまうだろうと思っていたけれど何だかんだ年に2回は会う。私の人生の幸運の一つが彼女たちだ。いろんなことを話してきたけれど20代も半ばとなりそれなりに現実的な話も増えた。高校生の頃は一体何を毎日話していたんだろうか?

それでも私たちはまだ誰一人として結婚していない。だから「結婚はしたくないけど、指輪をはめて結婚しました〜!とは言ってみたいよね」なんてことも無邪気に言える。来年、再来年は言葉の意味ももっと違ってくるのかもしれない。海外に恋人のいるあの子は日本から出ていってしまうのかも。けれど私たちは現実という地面からまだ踵1センチは浮いて暮らしているから、この言葉にあるのは“経験したことのないことを経験してみたい“という無邪気さだけだ。

何だか暗い話になっちゃったね、なんて言いながら少しづつ楽しい話にシフトする。趣味の幅を広げたいんだよね、何かを作ってみたい、そろそろ海外旅行に行きたい、海外勤務の希望を出そうかな…。今までは何かハマっているもののプレゼンが始まったりしたけれど、みんな思うところは同じなのか結局恋愛の話と変わらず「新しいことを始めて自分の世界を広げたい」に終始していた。そして私も例に漏れず、退屈で単調な毎日の打破や将来の方向性を決めるべく“やりたいことリスト“を初めて作ってみた。

初のやりたいことリスト。100個書こうと思ったけど流石に厳しかった。

最初は一つやりたいことを見つけるのにも手こずったけど部門を用意したら案外スラスラやりたいことが出てきた。達成できればチェックをつけて年末に確認する予定。何年もやりたいと思っていたことや、最近見つけた興味のあること、やりたいというより“やるべき“こと。特に今年やりたいのは自転車での琵琶湖一周(北湖で150km、南湖合わせると全長なんと200kmある!)とボランティア活動だ。自転車での琵琶湖一周はビワイチと呼ばれていて北湖のみであれば道も整備されており迷うことはないのだそう。普段クロスバイクに乗っているとはいえ、1泊2日でも流石に急に150km走るのは厳しいし装備も整っていないので練習したい…と思って調べると、偶然家の近所がサイクルロードになっていることを知った。なのでまずはそこからかな…と企んでいる。

今までだったらこんなことは思いつかなかったし、やろうとも思わなかっただろう。そもそも私は割と体が弱いし、突然変わったことをすると翌日に体調を崩して臥せってしまうことも多いからだ。けれど私は仕事を辞める。疲労回復に十分な時間ができるのだ。

「今の仕事を辞めるならせめてご褒美に1年休もう」と前々から決めていた。もちろん経済的な余裕は大して無い。今から辞めた後の1年のお金まわりを考えては震えている。かじれる親の脛もないが、まあどうにかなるだろう知らんけど。とりあえず休んで、色々やってみて、今後どういうふうにキャリアを進めるのか決めよう。とにかくボランティアは前々からやりたくて忙しくてできなかったことの代表格なので外せない。調べると近くで子どもと関わるものがあった。学生時代に先生のバイトをやっていて子どもと教育にもう少し関わりたいと思い続けていたので、じゃあガッツリ関わる!という内容のものではないけどとにかくやってみようと思う。言うなればこれは大人のギャップイヤーだ。本来は高校を卒業してから取るものだけれど別に問題ないでしょう。それに今の方が何かやるにしても手順だとかやり方、その調べ方なんかを知ってるから怖がりの私にはちょうど良いのかもしれない。

このことを、たまたま以前好きだった人に話す機会があってふんわり話してみると「〇〇の勉強ってそんなガッツリやるものじゃないでしょ」とか「その資格は取って意味あるの?」と言われて心底鬱陶しかった。そうかもしれないけど、重要なのは“私がしたいと思った“ということ、それ自体なのだ。それにどれも彼自身は取得していない資格なので、自分が経験した訳じゃないのにそんなことを言うなんて退屈な人だなと思った。この人ってこんなにつまんない人だったんだな。でも私はこのどうしようもないほど退屈な、どこを切り取っても社会の最大公約数で自分を普通だと訳もなく信じているところが好きだと思っていたことを思い出した。やっぱり私は彼ではなく彼と付き合うことで手に入れられるステータスを欲していたのだ。上手くいかなくてよかった。私にとっても、彼にとっても。

こんな感じで、新年明けまして2週間程度しか経っていないにもかかわらず変化は私の中を止めどなく掻き乱し流れていく。さて、やることはたくさんあるし時間は有限。ひとまず私はポケモンスカーレットを地道に進めるところから始めたいと思う。

刀ピークリスマスのテーマソングがキモくてエモい

刀ピークリスマスなんです。

曲がめっちゃいいんです。

正直これを読み始めてくれた人はそれだけ言われても「は?」って感じだと思う。本当は初めに前置きを色々つらつら描き連ねていたんだけど、どうにも面倒になってしまって全部消したら訳のわからない書き出しになってしまいました。

簡単にサラッと説明すると『刀ピークリスマス』とはvtuberバーチャルyoutuber)であるピーナッツくんと剣持刀也が毎年クリスマスの日に開催しているライブ配信のことだ。2018年にスタートしているので既に5回目の開催らしい。私は直近の2022年から知った。

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この配信では毎年必ずピーナッツくんが剣持刀也へラブソング、もといテーマソングを贈っている。そしてそれがマジでめちゃくちゃ“良い“のだ。曲としてのあまりに高い完成度、絶妙にエモく、でも恋愛ソングの気持ち悪いところだけを厳選して抽出したかのような洗練されたキモさ。それがポップであったりキャッチーな曲展開に乗せて歌われていて、リリックが口に心地よく、一度聴くと口ずさみたくなる中毒性がある。マジで楽しい。

私は音楽が好きだけど、具体的にテクニックやここがこういう音程だから面白いみたいな専門的なことは一切わからない。なので聴いた感想やここが好き!という浅いことしか言えないけれど、私がいかに今この刀ピークリスマスにぶち上がってるかだけでもわかってもらえたら嬉しいです。

※刀ピークリスマスのテーマソングは“面白さ“も大事なポイントです。聴いているピーナッツくん・剣持刀也のコメント副音声がある方が面白いですが、今回は曲の良さを取り上げるために副音声なしの動画のみを引用しています。

 

自作テーマソングってこんなレベルだっけ?2022

ひとまず最新2022年のテーマソングを聴いていただきたい。

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イントロが良すぎん?

・まずアコギ(?)の音がいい。アンニュイな雰囲気が出てるし、なんかタバコの煙とかでうっすらもやがかってそうな部屋の雰囲気を感じる。気だるくて、それだけでこれから歌われる2人の関係が何だか重たく閉鎖的なものなんだろうなという気がしてくる。(実際の2人は全然そうではないのに!)

・そして歌い出し“I'm gonna fadeaway"(僕は消えてしまいそうだ)。特に好きな歌詞!という訳ではないけど「あ、この黄色い子英語とか使ってくるんだフーン……」みたいな気持ちにはなった。何だか賢そうである。知らんけど。

・それに歌い出しから加わるクラップ音(?)も良い。これが加わることでしっとりした雰囲気からさらに洒落た感じになっているし、リズムにのって無意識に体を揺らしてしまう。流行るじゃん、こんなん。ラジオのヘビーローテーションとかに選ばれたりしないかな。

・冒頭の“消し去ってきなよそのデータベース“に続き、“闇夜照らした君のI Phone 出荷状態にしとけよ“。どうも彼(おそらくピーナッツくん)は相手(おそらく剣持刀也)に過去の履歴の一切を捨てて欲しいらしいことがわかる。それはスマホのデータだけでなく実際の人間関係なんかも含めて言っているんだろう。すげぇ重い。

・“君の熱い眼差し まるでコックカワサキ“。コックカワサキ見たことありますか?全然熱くないです眼差し。何見たんだろう。同人誌かな。

・“紙ストローならふやけるほどDo it 寝てる間に洗いもの片す趣味 君が残すジュースを一気にグビッ“怒涛。怒涛のエモリリック。情景描写がうますぎる。天才。紙ストローならふやけるほどって曖昧にしてるのにちゃんと何のことか伝わるし、何ならハッキリ言うよりその場の湿度まで伝わる。スタバやマクドで使用され始めて「口ん中気持ち悪っ」ってなってヘイト買うだけだった紙ストローが一気にエモーショナルアイテム堂々一位にランクインしてしまった。これからマクドでドリンク飲んでるとき毎回この歌詞と記憶にないはずの情景が走馬灯のようによぎるんだろうな。あーあ。

・サビ、めちゃくちゃ可愛くないですか?“刀ピーOVERDOSE just popin' all night long"でパ行の破裂音が多いからかな。A・Bメロのねっとり重ため感情の歌詞の割にサビはステップ踏んでるみたいでちょっとチャーミングだ(実際ピーナッツくんも踊ってる。マネしたい)。Bメロでピアノの音が入ってきて感傷的な雰囲気からのサビでビートが大きくなってすごいノれるようになる。

・Would you like...×5のところ、最初聴いた時はキモかったのに聴き続けるとブチ上がるようになってきた。クラブでかけたりしないんですかね?行ったことないんでわかんないですけど。

・“ふたりアベック やらないエペ(apex) FPSで見てるよ夢“リズムが心地良い〜〜!ちゃんとゲーム実況の感じとかけているのも好き。ぼーっとしてる時にここの部分をやたらに口ずさんでる。

・“お前と人生すってんころりんだ“いっっっちばん好きな歌詞。めちゃくちゃ好き。まず『すってんころりん』の語感の可愛さ。驚き。めちゃくちゃ可愛い…。そして対照的に意味は「お前と一緒に(半ば引き摺り込む形で)人生ぐちゃぐちゃにして終わらせたい」。重……最高か。使いどころないけど今言いたい日本語一位です。お前と人生すってんころりんだ…はは…最悪だ……。

・“君がケンなら僕はバービー“チョイスが渋くていい。

・“ベートーヴェンに言わしゃこりゃ運命だ“これも語感が好き。言いたくなるし、単に運命というよりぐちゃぐちゃでもベートーヴェンを引っ張ってくるせいで根拠がある気がして逃げられない気分になる。

・語りの部分めっちゃムカつくんだよな。何でだろう。なんか小癪なんだよ。

 

ちゃんとキモくてかっこいい

とりあえず私の今のありったけをひたすら書いてみました。歌詞重視な私にはとてもとても楽しい曲で完全にハマっている。歌詞がいちいちエモくて、曲もカッコいい。めちゃくちゃノれるし何度も繰り返し聴いてしまうような中毒性もある。おふざけで始まったであろうテーマソングにしてはあまりにも完成度が高い。けど、もし私がこの曲を贈られたら「キモい!!!」と叫ぶだろう。ちゃんとキモい。ちゃんとキモくてかっこいい。そこが何というか、大好きになってしまうポイントなのだと思う。降参。

彼の声も独特で、最初に聴いた時はちょっとうっとおしく感じたのに、聴けば聴くほど洒落ていて唯一無二、もうピーナッツくんでなければ…みたいな気持ちになってしまう。まさしく“無限ループ 迷路“だ。

本当は2021年テーマソングも書く予定だったのだけど、結構文字がごちゃごちゃしてしまうのでまた後日、気が向いたらやろうと思う。視聴回数で見る評価は2021の方が今のところ高く有名なはず。2021は2022よりも明るく楽しげで、家までへの帰り道をキャッキャしながら帰ってるみたいな曲だ。ぜひ聴いてほしい。

ピーナッツくんはテーマソング以外にオリジナル曲もたくさん持っていて、そっちもマジで良い曲がたくさんあるので最後にリンクを貼って紹介しておきます。

それでは楽しい2023年を願って!

 

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毎日絵を描いて、たまに褒められたい

あ〜〜〜絵が描きたい絵が描きたい。

私の頭の中は大体こうだ。24時間365日そう。ああ絵が描きたい。

じゃあ描けばいいのにねって思うけど、仕事は疲れるし家に帰る時間も遅い。子どもの頃みたいに家に帰ってリュックを置いたらご飯の時間まで自由時間、さらに食べ終わって「お風呂入りや〜」とせっつかれるまで自由時間part2、さらにさらに眠りにつくまでひたすら自由時間part3ともなれば絵も山ほど描いていたけど、こちらももう大人なので私もやるべき家事がある。疲れて家に帰り、ご飯風呂家事明日の準備をすればすっかり眠る時間で、夜更かしすれば翌日の午前中は眠気で使いものにならない。何だかとっても悲しい。

そうやって描く頻度がどんどん下がると、今度は反比例するようにたまに描く1枚への期待値がグググと上がる。

めったに描かないのだから成功させたい。満足のいく出来のものを描きたい。明日の朝「これはうまく描けちゃったな〜!」なんて思いながら何度も何度も眺めてしまえるような絵を……!そう思っていると自分は一体何を描きたいのか、どういうものを表現したいのか、何が好きで何をいいと思う?なんて事はほったらかしになってひたすら見栄見栄見栄。完璧を目指すには何百もの失敗が必要なのに。

本当の本当は、べつに良い絵を描きたいんじゃない。Twitterの評価とかどうでもいい。絵を描いて「たのしいな〜!」と思っていたあのワクワクとか、私の絵が世界で1番だな〜!と一人でクスクス笑っていたあの時間がたまらなく愛おしくて大好きで、また味わいたい。戻りたいだけなのだ。

 

そういえば少し前に「字が綺麗ですね」と仕事先の人に褒められた。人にじっと見られながら文字を書くのはかなり苦手なのだけど、そう言われると嬉しい。ササッと書かれたけど綺麗だったので…とすこし遠慮がちに伝えてくれた相手を見ていると、中学生の時、前の席に座る子がパッと私のノートを見て「めっちゃ字綺麗やん!」と勢いよく褒めてくれた日のことを思い出して何だか少し可笑しかった。

それからというもの、何か文字を書くたびに彼の「字が綺麗ですね」が頭の中でリフレインする。その度に(私の字は綺麗なんですよ…)とマスクの下でニヤニヤしながらちょっと気取って文字を書く。ほらね、綺麗な字でしょ?とでも言わんばかりに。

絵も、欲を言うならそうやって褒められたいな。もちろん褒めてくださる方はありがたいことにいて、ツイートで褒められたらスクショを印刷して大事に保管しているタイプだ。でももっと欲を言うなら、面と向かって褒められたい。突然、思いもよらない人から言われたりしたら……。

そしたらきっと、またひとりでニヤニヤするのだ。素敵な絵でしょ?とでも言わんばかりに。

 

音楽とわたしの2022

会社の行きと帰りに歩きながら音楽を聴くのが好きだ。

別に通勤の時でなくても休みの日に散歩しながらでもいいのだけど、散歩はなんだか目的地や道順を考えたり景色を楽しんだりすることに忙しくて曲に集中できない。その点通勤時となれば目的地は絶対に駅だし、あそこに寄ろうかここに行こうかなどと考えることもない。ただまっすぐに無心で足は体をいつものルート・いつものスピードで駅まで運んでくれる。音楽にダイブするのにピッタリの時間だ。

今年はなんだか山ほどいろんな変化や出来事があったような気がする。音楽もその時の私に合わせていろんな曲を聴いた。気に入るとずっと聴いてしまうから、特定の曲たちは思い出の栞みたいになっている。そんな曲たちを紹介しつつ今年を振り返って、「今年もよくがんばりました」と自分を褒めていきたいと思う。よかったら聴いてみてください。

好きで脳みそが破裂しそうだった3月

私ほど恋愛に疎い人間ってそうそういないのでは?というくらいほとんど興味なく生きてきた私が、この時ばかりは脳みそが破裂して四肢が弾け飛んでしまうのではないかと思うほど必死で恋をしていた。あまりないことだから不慣れで自分の感情のもって行き方がわからなくて超胡散臭い恋愛系YouTubeまで見る始末。この表現はあまり良くないけど、本当に気が狂うかと思うような毎日だった。狂わなくてよかったと思う。

この時期の日記を読み返すと本当に好きな人の話しかしておらず、同時に自意識でいっぱいいっぱいになってもいてかなり面白い。それに我ながらそうやってもがいている様がすごくかわいいし、もし私の日記を本にするならこの時期を選ぶ。恥ずかしすぎて知り合いには見せられないけど。

その頃はとにかくあいみょんの曲を聴いていた。さすが恋愛ソングでヒットを飛ばしまくるアーティストだけある。マジであいみょんがマブダチみたいになっていた。その中でも、一番聴いていたのは平井堅あいみょんとコラボして歌っている“怪物さん feat.あいみょん“。

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知らないって 知らないって 笑っていたい

わからないって わからないって とぼけていたい

この曲はあいみょんではなく平井堅の曲なのだが、2人の声が歌詞の主人公の切実さをそれぞれ少し違った雰囲気で表現していて胸がギュッとなる。無意味で諦めるべきだと本当は分かっているけれど、一瞬だけ感じる相手からの「特別かも」という雰囲気に期待するのを止められない、こんな自分はいなくなってしまえ…。毎日こんな調子だったらそりゃあ脳みそは破裂して四肢は爆発四散するだろ。今聞くと河川敷を猛ダッシュしたくなります。恥ずかしくて。

ちなみにこの時期にはコロナにもかかりめちゃくちゃ怖かったです。熱もたくさん出たし、喉も痛く、少し呼吸もしづらかった。4日くらいで落ち着き、幸運にも食欲がものすごくあったので十分に回復できました。とてもラッキーだった。

 

自分の“今“に悩み始めた4月

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周りを気にしちゃ流されるし

ない頭凝らしてもなんもない

出る杭は打たれるという習わし

本当か嘘か今は言わないで

去年からなんとなく「このままでいいのか?」とぼんやり考えていたのが本格的な悩みになり始めたのがこの時期。周りの友人と比べて仕事の待遇も悪く、職場への不満も見えてきたりして退職・転職を視野に入れ始めた。転職は初めてのことだし、じゃあ私は具体的にこれから何をして行きたいのか、何が嫌で何を求めているのか。そういうことを会社の行き帰りに考えながら聴いていた曲。

このまま同じ業界にいても自分は向いていないかもしれないとか、もっとお客さんと関わる働き方じゃないと誰のために頑張ればいいのかわからないのかもしれないと思って、人に話を聞いたり本を読んだりしていた。私はいつだって「自分がどうありたいか」が重要なのだとはっきりわかったのは収穫だったけどそれでも悩むしかなくて、オルゴールを開いた時みたいな懐かしさでもっと単純だった子供時代の私に会わせてくれる“VIDEO BOY"は、暗い帰り道に心細くて不安な私にピッタリと寄り添ってくれた。

 

大混乱の6月

昔恋煩いで亡くなった歌人のことが理解できるほど好きな人に必死だった私はウケるくらいあっさりフラれた。しかし思わぬ方向にショックを受けていた。

私は彼のことが本当に好きだった。が、フラれたことで彼が私を“女性“として認識していた事をはっきりと突きつけられた。今までだって話す中で彼は私を“女性“として扱っていて、そんなことは知っているはずだったのになぜか凄く嫌だと思ったのだ。

自分のセクシャリティは未だにわからない。もしかしたらそれが理由で、人間同士じゃなくて男女の土俵に上げられてしまったことに怒っていたのかもしれない。それは彼に対してなのか社会に対してなのか。この時の怒りは半年以上経った今でもよくわからなくてまだ混乱している。

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ぶっ壊してぶっ壊して戻せなくなるまで

お前が求める私は はなからな 私じゃない

彼は私を甘える相手として使っていたことは何となく知っていた。それでも仲良くいたいと自分を少しずつ相手に合わせていたのだけど、駅のホームを歩いていると時々虚しくなった。フラれたことで解放された気がしたし、もう誰かを好きでいる“社会的にまともな“私になる必要もない。失恋したことは苦しいし、悲しい。でも私はその苦しみや悲しみを喜んで歓迎するよ。誰のものでもないただの私が帰ってきた。

 

やってられっか!の9月

多忙を極める。まさに。仕事はやってもやっても地下水脈を掘り当てたみたいに止めどなく湧き出でくる。段階別優先順位が全く機能しない。なぜなら全てが急ぎの仕事だからである。

何とかギリギリ捌いていたけれど、ついに何もわからなくなった。やるべきことは目の前にある。しかしどれから手をつけるべきなのか、どう運べばいいのか何にもわからない。完全な思考停止。脳みそが、体が、感情が、仕事を拒否していた。毎日のように夜中まで仕事をし、それでも終わらない。朝は早くに出勤するがやはり終わらない。しかし出ない残業代。yeah。yeahちゃうて。

朝は起きられないし、起きたところで座っているだけで吐きそうになる。電車に乗ると呼吸の仕方を忘れる。社員への正当な対応もなく働かされることに怒っていた。何を言っても私のせいにしてくる上司は私の言葉さえ自分の言葉を正当化するために奪い取った。

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Do you ever get a little bit tired of life?

Like you're not really happy but you don't wanna die

Like you're hanging by thread but you gotta survive

'Couse you gotta survive

“人生に疲れちゃうことってない?

幸せじゃないけど死にたいほどでもなくて

ぶら下がっているのが細い糸でも生きなきゃいけない

だって生きなきゃいけないから“

鬱を歌った歌だけど、曲もmvも明るくて、とてもマイナスな歌詞でも前向きな曲だ。とにかく毎日この曲をリピートしながら通勤していた。人生で一番しんどくて、ベッドから起き上がれなくて、どうして私はいつもこうなんだろうみんなもっと強く生きているはずなのに一体いつまで私はこんな感じで生きるつもりなんだろう、そんなことしか考えられない時に同じ気持ちを歌っている人がいることは心強かった。

この仕事は辞める。私は人に優しくいたいし、そういう自分が好きだ。ここにいたら遅かれ早かれ私は死ぬだろう。そこまでしなきゃいけないのだろうか?

 

考える11月

仕事は辞めるが、その後の身の振り方をどうしようか。制度もよくわからない。とにかく色々見てみる。本を読む。

一番楽しく読んでいたのは週末北欧部chikaさんの北欧こじらせ日記。北欧好きな著者が日本で働きつつフィンランドに関わる方法を模索し、ついに寿司職人を目指す…というエッセイだ。著者ほどの行動力も精神力も体力もないが、キャリア形成について考えるきっかけを掴むことはできた。

同時に自分を掘り下げるみたいなこともしていた。その時は若林正恭さんのナナメの夕暮れを読んでいた。とても好きな本だ。以前に読み終えていたものをまた読んだのだけど、面白さが倍増した気がした。

上司からは「考えすぎだ」と言われ、もう少し考え込まないようにしなさいなんて“指導“(指をクイクイと曲げる)されていた。でも考えないなんて無理だ。だって私は私のことがちっともわからないのだから。わからなくて、言う事を聞いてくれなくて持て余している。どうすれば苦しくなく生きられるのか、何が好きで何が嫌いでどうしたいのか。考えないで生きることは酸素ボンベなしでダイビングするようなものだ。最初は耐えられても、長くは続かない。残念だけど私は人魚じゃないから。

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ヒトも街も宇宙も まわれまわる“タイミング“

ヘンにね合わせ過ぎても たぶん辛いだけさ

 

なんとかなるだろ12月

さて12月まで戻ってきた。めでたく仕事を辞めることも決まり、なんとなく身の振り方も見えてきた。落ち込む期間をどうにか切り抜け、今は逆にハイになっている。それはそれで注意力も散漫で疲れるのでやっぱり休むべきだろう。

暮らす環境も変化し、生活を整えつつ忙しさの戻ってきた仕事を捌く。以前のような無理が全く効かなくなり自分のコントロールが効かずすぐに泣き出してしまうのでまだまだギリギリだ。家では突然イライラしだしたりするので自己嫌悪にも陥る。どうかこれを読んでいる方にはそんなことが起こりませんように。

まあでもなんだかんだ、知らない人を助けたり親切をしたりする余裕も出てきてマシにはなっているんじゃないだろうか。やりたい事も考えられるようになったし、絵も描けるようになってきた。私は毎日絵を描きたいと思いながら暮らしているが、うまく描けない可能性にびびって暫く避けていたのだ。前みたいに時間をかけて描くのは体力がなくてできないけど、落書きくらいはできる。嬉しくて自分の描いた絵をニヤニヤしながら見つめている。私は私の絵の一番のファンだから。

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メンタルも成長痛を起こすでしょう

「無理をせず自分らしくいて」

それが出来たら悩んでないよ

まぁ明日こそ笑おう

 

わちゃわちゃの2022年

こんな感じで、人から見れば大したことは何もない1年かもしれないけど私にとっては何もかもが初めてでとにかく頭を悩ませた年だった。疲れた。来年は悲しいことが何もないといい。毎年思ってはいるけど、そんな年になった試しがない。きっと私は悲しいことの渦中にいるのが楽しくて好きなのだ。最悪なことに。

人として良い人になれたのかもわからない。一進一退な気がするし、正直体感だと私は年々ひどくなっている気がするから。それでもワガママで結構。そういうふうに生きるしかないのだ。それに、そういう私を愛してくれる人たちもいるから。

そういえばクッソ忙しい9月ごろにマッチングアプリをしてみたのだけど、やっぱり何だか居心地が悪かった。自分を女性として見られるのは居心地が悪い。けれども自分自身が(主に見た目の点で)怪物ではないことはわかった。それで今のところは十分かな。

1年あれば全てが変わる、そう思って生きてきた。たぶん来年も全部が変わるだろう。また疲れるな嫌だな。でもしょうがないので、どうにか頑張ります。