音楽とわたしの2022

会社の行きと帰りに歩きながら音楽を聴くのが好きだ。

別に通勤の時でなくても休みの日に散歩しながらでもいいのだけど、散歩はなんだか目的地や道順を考えたり景色を楽しんだりすることに忙しくて曲に集中できない。その点通勤時となれば目的地は絶対に駅だし、あそこに寄ろうかここに行こうかなどと考えることもない。ただまっすぐに無心で足は体をいつものルート・いつものスピードで駅まで運んでくれる。音楽にダイブするのにピッタリの時間だ。

今年はなんだか山ほどいろんな変化や出来事があったような気がする。音楽もその時の私に合わせていろんな曲を聴いた。気に入るとずっと聴いてしまうから、特定の曲たちは思い出の栞みたいになっている。そんな曲たちを紹介しつつ今年を振り返って、「今年もよくがんばりました」と自分を褒めていきたいと思う。よかったら聴いてみてください。

好きで脳みそが破裂しそうだった3月

私ほど恋愛に疎い人間ってそうそういないのでは?というくらいほとんど興味なく生きてきた私が、この時ばかりは脳みそが破裂して四肢が弾け飛んでしまうのではないかと思うほど必死で恋をしていた。あまりないことだから不慣れで自分の感情のもって行き方がわからなくて超胡散臭い恋愛系YouTubeまで見る始末。この表現はあまり良くないけど、本当に気が狂うかと思うような毎日だった。狂わなくてよかったと思う。

この時期の日記を読み返すと本当に好きな人の話しかしておらず、同時に自意識でいっぱいいっぱいになってもいてかなり面白い。それに我ながらそうやってもがいている様がすごくかわいいし、もし私の日記を本にするならこの時期を選ぶ。恥ずかしすぎて知り合いには見せられないけど。

その頃はとにかくあいみょんの曲を聴いていた。さすが恋愛ソングでヒットを飛ばしまくるアーティストだけある。マジであいみょんがマブダチみたいになっていた。その中でも、一番聴いていたのは平井堅あいみょんとコラボして歌っている“怪物さん feat.あいみょん“。

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知らないって 知らないって 笑っていたい

わからないって わからないって とぼけていたい

この曲はあいみょんではなく平井堅の曲なのだが、2人の声が歌詞の主人公の切実さをそれぞれ少し違った雰囲気で表現していて胸がギュッとなる。無意味で諦めるべきだと本当は分かっているけれど、一瞬だけ感じる相手からの「特別かも」という雰囲気に期待するのを止められない、こんな自分はいなくなってしまえ…。毎日こんな調子だったらそりゃあ脳みそは破裂して四肢は爆発四散するだろ。今聞くと河川敷を猛ダッシュしたくなります。恥ずかしくて。

ちなみにこの時期にはコロナにもかかりめちゃくちゃ怖かったです。熱もたくさん出たし、喉も痛く、少し呼吸もしづらかった。4日くらいで落ち着き、幸運にも食欲がものすごくあったので十分に回復できました。とてもラッキーだった。

 

自分の“今“に悩み始めた4月

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周りを気にしちゃ流されるし

ない頭凝らしてもなんもない

出る杭は打たれるという習わし

本当か嘘か今は言わないで

去年からなんとなく「このままでいいのか?」とぼんやり考えていたのが本格的な悩みになり始めたのがこの時期。周りの友人と比べて仕事の待遇も悪く、職場への不満も見えてきたりして退職・転職を視野に入れ始めた。転職は初めてのことだし、じゃあ私は具体的にこれから何をして行きたいのか、何が嫌で何を求めているのか。そういうことを会社の行き帰りに考えながら聴いていた曲。

このまま同じ業界にいても自分は向いていないかもしれないとか、もっとお客さんと関わる働き方じゃないと誰のために頑張ればいいのかわからないのかもしれないと思って、人に話を聞いたり本を読んだりしていた。私はいつだって「自分がどうありたいか」が重要なのだとはっきりわかったのは収穫だったけどそれでも悩むしかなくて、オルゴールを開いた時みたいな懐かしさでもっと単純だった子供時代の私に会わせてくれる“VIDEO BOY"は、暗い帰り道に心細くて不安な私にピッタリと寄り添ってくれた。

 

大混乱の6月

昔恋煩いで亡くなった歌人のことが理解できるほど好きな人に必死だった私はウケるくらいあっさりフラれた。しかし思わぬ方向にショックを受けていた。

私は彼のことが本当に好きだった。が、フラれたことで彼が私を“女性“として認識していた事をはっきりと突きつけられた。今までだって話す中で彼は私を“女性“として扱っていて、そんなことは知っているはずだったのになぜか凄く嫌だと思ったのだ。

自分のセクシャリティは未だにわからない。もしかしたらそれが理由で、人間同士じゃなくて男女の土俵に上げられてしまったことに怒っていたのかもしれない。それは彼に対してなのか社会に対してなのか。この時の怒りは半年以上経った今でもよくわからなくてまだ混乱している。

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ぶっ壊してぶっ壊して戻せなくなるまで

お前が求める私は はなからな 私じゃない

彼は私を甘える相手として使っていたことは何となく知っていた。それでも仲良くいたいと自分を少しずつ相手に合わせていたのだけど、駅のホームを歩いていると時々虚しくなった。フラれたことで解放された気がしたし、もう誰かを好きでいる“社会的にまともな“私になる必要もない。失恋したことは苦しいし、悲しい。でも私はその苦しみや悲しみを喜んで歓迎するよ。誰のものでもないただの私が帰ってきた。

 

やってられっか!の9月

多忙を極める。まさに。仕事はやってもやっても地下水脈を掘り当てたみたいに止めどなく湧き出でくる。段階別優先順位が全く機能しない。なぜなら全てが急ぎの仕事だからである。

何とかギリギリ捌いていたけれど、ついに何もわからなくなった。やるべきことは目の前にある。しかしどれから手をつけるべきなのか、どう運べばいいのか何にもわからない。完全な思考停止。脳みそが、体が、感情が、仕事を拒否していた。毎日のように夜中まで仕事をし、それでも終わらない。朝は早くに出勤するがやはり終わらない。しかし出ない残業代。yeah。yeahちゃうて。

朝は起きられないし、起きたところで座っているだけで吐きそうになる。電車に乗ると呼吸の仕方を忘れる。社員への正当な対応もなく働かされることに怒っていた。何を言っても私のせいにしてくる上司は私の言葉さえ自分の言葉を正当化するために奪い取った。

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Do you ever get a little bit tired of life?

Like you're not really happy but you don't wanna die

Like you're hanging by thread but you gotta survive

'Couse you gotta survive

“人生に疲れちゃうことってない?

幸せじゃないけど死にたいほどでもなくて

ぶら下がっているのが細い糸でも生きなきゃいけない

だって生きなきゃいけないから“

鬱を歌った歌だけど、曲もmvも明るくて、とてもマイナスな歌詞でも前向きな曲だ。とにかく毎日この曲をリピートしながら通勤していた。人生で一番しんどくて、ベッドから起き上がれなくて、どうして私はいつもこうなんだろうみんなもっと強く生きているはずなのに一体いつまで私はこんな感じで生きるつもりなんだろう、そんなことしか考えられない時に同じ気持ちを歌っている人がいることは心強かった。

この仕事は辞める。私は人に優しくいたいし、そういう自分が好きだ。ここにいたら遅かれ早かれ私は死ぬだろう。そこまでしなきゃいけないのだろうか?

 

考える11月

仕事は辞めるが、その後の身の振り方をどうしようか。制度もよくわからない。とにかく色々見てみる。本を読む。

一番楽しく読んでいたのは週末北欧部chikaさんの北欧こじらせ日記。北欧好きな著者が日本で働きつつフィンランドに関わる方法を模索し、ついに寿司職人を目指す…というエッセイだ。著者ほどの行動力も精神力も体力もないが、キャリア形成について考えるきっかけを掴むことはできた。

同時に自分を掘り下げるみたいなこともしていた。その時は若林正恭さんのナナメの夕暮れを読んでいた。とても好きな本だ。以前に読み終えていたものをまた読んだのだけど、面白さが倍増した気がした。

上司からは「考えすぎだ」と言われ、もう少し考え込まないようにしなさいなんて“指導“(指をクイクイと曲げる)されていた。でも考えないなんて無理だ。だって私は私のことがちっともわからないのだから。わからなくて、言う事を聞いてくれなくて持て余している。どうすれば苦しくなく生きられるのか、何が好きで何が嫌いでどうしたいのか。考えないで生きることは酸素ボンベなしでダイビングするようなものだ。最初は耐えられても、長くは続かない。残念だけど私は人魚じゃないから。

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ヒトも街も宇宙も まわれまわる“タイミング“

ヘンにね合わせ過ぎても たぶん辛いだけさ

 

なんとかなるだろ12月

さて12月まで戻ってきた。めでたく仕事を辞めることも決まり、なんとなく身の振り方も見えてきた。落ち込む期間をどうにか切り抜け、今は逆にハイになっている。それはそれで注意力も散漫で疲れるのでやっぱり休むべきだろう。

暮らす環境も変化し、生活を整えつつ忙しさの戻ってきた仕事を捌く。以前のような無理が全く効かなくなり自分のコントロールが効かずすぐに泣き出してしまうのでまだまだギリギリだ。家では突然イライラしだしたりするので自己嫌悪にも陥る。どうかこれを読んでいる方にはそんなことが起こりませんように。

まあでもなんだかんだ、知らない人を助けたり親切をしたりする余裕も出てきてマシにはなっているんじゃないだろうか。やりたい事も考えられるようになったし、絵も描けるようになってきた。私は毎日絵を描きたいと思いながら暮らしているが、うまく描けない可能性にびびって暫く避けていたのだ。前みたいに時間をかけて描くのは体力がなくてできないけど、落書きくらいはできる。嬉しくて自分の描いた絵をニヤニヤしながら見つめている。私は私の絵の一番のファンだから。

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メンタルも成長痛を起こすでしょう

「無理をせず自分らしくいて」

それが出来たら悩んでないよ

まぁ明日こそ笑おう

 

わちゃわちゃの2022年

こんな感じで、人から見れば大したことは何もない1年かもしれないけど私にとっては何もかもが初めてでとにかく頭を悩ませた年だった。疲れた。来年は悲しいことが何もないといい。毎年思ってはいるけど、そんな年になった試しがない。きっと私は悲しいことの渦中にいるのが楽しくて好きなのだ。最悪なことに。

人として良い人になれたのかもわからない。一進一退な気がするし、正直体感だと私は年々ひどくなっている気がするから。それでもワガママで結構。そういうふうに生きるしかないのだ。それに、そういう私を愛してくれる人たちもいるから。

そういえばクッソ忙しい9月ごろにマッチングアプリをしてみたのだけど、やっぱり何だか居心地が悪かった。自分を女性として見られるのは居心地が悪い。けれども自分自身が(主に見た目の点で)怪物ではないことはわかった。それで今のところは十分かな。

1年あれば全てが変わる、そう思って生きてきた。たぶん来年も全部が変わるだろう。また疲れるな嫌だな。でもしょうがないので、どうにか頑張ります。