音楽とわたしの2023

最近テレビを見る機会がめっきり減った。なんだか久しぶりに銭湯の待合でテレビをぼーっと眺めていると、見覚えのある姿が映る。知ってるなーこの人、私が小学生のころに起用されたお天気キャスターさんだ。その頃の彼が漂わせていたフレッシュな雰囲気はどこへやら、テレビの中の彼は実に慣れた調子でトークと進行を繰り広げている。その姿は、ただ毎日を過ごしている時よりもずっと時間の流れを感じさせてくれるものだった。

さて、年末をだらだらと過ごしていたら年も明けて2024になってしまったな。あっという間の一年だった。毎年そうかも?でも2023年は少し特別だったんじゃないかな。色んなことが起こったり、何もできなくて苦しんだり、そういう一年の中で覚えていることも忘れたことも山のようにある。だけどあの日、あの時聴いていた曲を引っ張り出して聴いてみればその時の景色も香りも感情も溢れ出すように広がってくれるから、また書きますね。いったい何があったかな。音楽と私の2023は。

これからどうするよ、1月

仕事を辞めた。やっと!あまりにも前のことすぎてもう覚えていないが、本当に毎日憂鬱な気持ちで通っていたせいか記憶の中の通勤路は全部グレーだ。ちなみに有休制度が存在していない最悪会社だったので有休消化からの退職という王道ルートを踏めるはずもなく、退職日である1月末まできっちり働かされた。

ちなみに私はこの2022〜2023にかけての年末年始に猛烈に体調を崩し、食事もまともに食べないか逆に過食しては吐いたり、起き上がるのもキツいけれどそれではいけないとどうにか家の周囲を散歩したりしていた。そのおかげで今では散歩が私の心身の調整に欠かせない日課になっているので、今となってはなるようになるなぁと少し感心している。


www.youtube.com

ぼくそうです 

誰も真似できぬこと編み出してきた毎日

あいつら 

えばって何もしてないうちにこさえて持ってく

ニュークラシック

つまり肝心要の自分次第 

でも期待以上には応えたいじゃん

高いハードルはダッシュをしてハイジャンプ

出る杭がもっと出て黙らす外野

この自分でも引くくらい体調を崩していた最中にできることといえばYouTubeを眺めることくらいで、その時偶然出会ったピーナッツくんに完全にのめり込んだ。その中でも一番聴いたのがこの曲。原因不明の体調不良もマシになり、退職日も迫る中、私の頭の中はこれからどう生きていくのかわからない不安と何でもやりたい期待でグチャグチャだった。忙しく働く中で趣味や創作活動をする余裕も気力も体力もなくなって、私という人間の軸が失われたような気がずっとしていた。これからは自由に何でもできる。何でも作れるんだ!と思うと気分が晴れる気がする。働き出してから4年間、ずっと自分が周りと違う、ズレていることを気にして普通になろうと必死に仕事してきたけれど、正直無理です。出る杭ならもっと出てやる。そんな退屈な場所で働くお前らの普通にがんじがらめになる私じゃないんだから、指咥えてみてろよ。

 

どこまでも行けるらしい、3月

志摩スペイン村に、来た!理由はVtuber周央サンゴちゃんが志摩スペイン村とコラボするからである。

幼少期以来のスペイン村、しかも連れ合いはtwitterのフォロワーさん。この時点で彼女とは何度か通話したり、そもそも相互フォロワーになってから5年以上経っていたけれど、住む場所の違いもあり、現地にて初の対面だった。日帰りで行ける場所でもないので泊まりがけだったが、流石に信用できる人とはいえ全然得体の知れない人間である。こういう時の自分の勢いって何なんだろう?しかし結果的にとても楽しい2日間になったし、もちろん今でも仲良くしている。鵜方駅近くの超ローカルな居酒屋さんで食べるご飯はどれも美味しく、思っていたよりずっとお互い共通点も多くて楽しい夜だった。

手作りのぬいぐるみと車窓

スペイン村の最寄駅である鵜方駅までは近鉄特急に乗って行った。仕事が忙しかったり、そもそも遠出することの少ないタイプの人間である私は指定席の特急も、それにたった一人で乗ることも初めてだった。見知った大阪の街がぐんぐん後ろに流れ、田畑や海が顔を見せる。知らない街に一人で繰り出している高揚感が身体中に満ち満ちて、そこでやっと私は本当の意味で「自由な大人」なんだと知った。心地よい電車のリズムと車窓を流れる風景を眺め、この曲を聴きながら噛み締める。私は一人でどこに行ってもいいし、どこにでも行けるのだと。


www.youtube.com

 

はりきる、焦る、焦る、5月

無職になって3ヶ月、私は焦り始めていた。先の見通しも立たず、流石に休みすぎなんじゃないか……と本格的に不安が頭をよぎるよぎる。モヤモヤし始めたら居ても立ってもいられなくなり、早速転職エージェントに登録。その上なぜかマッチングアプリにも登録して常にスマホは鳴り続けていた。立て続けに面談、面接、アプリの人との電話……。今にして思えば予定を詰めすぎだし、そもそも仕事を辞めて3ヶ月の間ただぼーっと過ごしていたのかといえば否で、その間私は前職の残業代未払請求をしたりなんやかんや動いていたので休んでなどいなかった。それ以外の時間は資格の勉強をしたりしていたし、その上転職活動に恋活まで手を出したんだから、過去を振り返って言えることは一つ。休め。

自分がどうすれば良いかわからない不安は焦りになり、焦りは本当に必要なことを忘れさせる。この時の自分は不安を払拭するために絶え間なく動いていた。毎日が少し怖くて、正気になって立ち止まったら不安に押しつぶされそうだったんだと思う。だから私はこの曲を聴いていたのだ。明るい気持ちになれるし、少し肩の力が抜ける。新年一発目に投稿されたMVがこれまた可愛らしく、例年通り軽く体調を崩して不安に包まれていた私をまた助けてくれた。ああ、ぽんぽこ・ピーナッツくん様様だよ。

簡単なことが難しい

そんならみんなでお気楽KING

ABCDEFG

やっぱりいつでもお気楽KING


www.youtube.com

 

うごかなきゃ!9月!

7〜8月は地獄のようだった。もちろん暑さもあるけれど、それ以上に動けない2ヶ月だった。飼っていた犬が急に体調を崩し、高齢犬だったこともありそのまま介護となったからだ。急変に備えて自由に出歩くこともできず、この頃は家の中でひたすら時計の針が進むのを眺めていた。それに加えてマッチングアプリで出会ったやつとやりとりを続けていたのだけど、どうにも良い人なのだろうが絶妙に気が合わず、冗談もクソほどつまらないし不快だった。しかし当時の私は家に縛り付けられており、楽しいことも少ない。友人は地方に散っているし、働いてもいないからコミュニティからほぼ断絶されていた。話し相手もほとんどいないから、多少、いやかなり不快でもそれに気づかないふりをして関係を続けていたが、もう無理だ白黒はっきりさせたい!と思い、結果的に振られた。一時的な依存先がなくなり、その上犬も亡くなってかなり苦しんだが、「この苦しみは人とのコミュニティの中にいないせいで頼るところが少ないからだ。私に今必要なのは新しい環境と新しい人間関係!」と思い、常々気になっていたピアノ教室に通い始め、職業訓練校に申し込み、誘いは全て断らず一も二もなく飛びついた。この全てが結果的に大成功だった。9月の私、最高の仕事をしたね!まじで!


www.youtube.com

人とコミュニケーションは難しい

だけど出来る気がするテレパシー

作業にハマれば意外と楽しい

そして褒めてもらえたらちょっと嬉しい

ちなみにこの月に私は人生初の一人旅に出た。目的地は宮城。出発の二週間前に思い立ち、初めて自力で航空券とホテルを手配した。一人で乗る飛行機には緊張したけれど、のんびり過ごす仙台・松島の2泊3日は自分に自信を取り戻すには十分だった。どこにいても私は生きていけるのだ。

松島はのんびり本を本を読んだり散策したり



なるようになるのか、11月

よくわからないことがよくわからないまま形になろうとしているような月だった。9月によくわからない誘いでもとりあえず受けていたら、文学フリマ京都で本を出すことになり、得体の知れない人間と頻繁に遊びに出ていたらその人と付き合うことになった。まあ私が詰めたんだけど…。思いの外、意図していたよりサクサクと物事が進んでいき驚く限りだった。調子の良い時は全てがテンポ良く運ぶというが、何だかあまりにスルスル〜と進むもんだから実感が湧かない。でも楽しいんだからしょうがない。

9月の行いが実を結んだのはそれだけじゃなく、申し込んだ訓練校に通うことになり、多くの友人と出会うことができた。苦しんでいた2ヶ月前が嘘みたいだ。それ以外にも新しい友人と出会うことになったり、本当に本当に良かったと思う。もう正直、この時点で20歳からの6年で一番いい年になったのは決定的で、全部が報われたような気持ちになる。外食が格段に増えたのでおそらく体重は増えているが、ストレス痩せで5キロ減ったのだから屁でもないわ。楽しそうで何より。良かったね、私。


www.youtube.com

想像ができる ひとりでいること

2日目の湯船も 透き通っているんだろう

あなたがいない風に話すのも

5日目で慣れるだろう バレずに過ごすだろう

〜中略〜

これが最後の恋でも 理解はできるだろう

せめてそれまでは ふたりで ふたりで

たぶらかして生きていよう ダメになる時はなるでしょう

せめてそれまでは ふたり

11月になぜ少し後ろ向きなこの曲を選んだのかといえば、私がこの得体の知れない人間と付き合う決め手みたいなものの一つに「ひとりでいても大丈夫と思えそう」と思ったからだ。一人でいても怖くない、それでいて二人でいられたら少し嬉しい。そんな気持ちになれたことは、私にとってはとてもとても、ハッピーなことだったのだ。

 

ぐにゃぐにゃ変化の2023年

2023年は前半と後半3ヶ月で全く色味の違う年になった。疲れ切ってくよくよ凹んで、傷ついた前半戦を耐え抜き、今までの人生で培った予感と自分をコントロールする術を全動員して良い結果へ力技で持って行ったような一年だ。マジで良くやった。えらい。私は私をきちんと知って対処することができるようになったことを誇らしく思うよ。

それでもやっぱり元々の性格が不安を感じやすくストレスを溜めやすいのもあり、うまくハンドリングができない日も山ほどある。そういう時は動けない日に苦しいだけの時間を過ごしていたけれど、少し角度を変えて別のことをしてみるといいと教えてもらって、ついこの間焦りと不安で心臓がバクバクするような気持ちに襲われた時に大きな公園で全力疾走をしてみた。すると体の緊張が解けて、気持ちもスッキリした。別の日は、走るのではなくベンチに寝っ転がって頬に当たる風の冷たさや周りの音に集中してみると、やっぱり気分が変わって少し元気になった。大丈夫かもしれない、そう思える方法が一つ二つ増えていくことを嬉しく思う。

あとは、そうだな。私は人をうまく信用できない。正確に言うと恋人くらい近しい人をうまく信用できないのだ。理由はわかっている。不安を感じるたび、私の脳の片隅に父親の姿が浮かぶから。大人になってからの記憶だからまだ新しく、その上一番信頼していた人物が私を雑に扱った悲しみは思いの外私を苦しめている。けれどもう、鬱陶しいのだ。その記憶が。今まで後生大事に仕舞っては怒ったり悲しんだりしていたけれど、もうそんなことをしていても意味がないと思った。むしろ、これから私が健全な関係を築く足枷にしかならない。恋人と父親は別の人間なのに混同して混乱する。だからもう、ここらでこの記憶と決別したい。そこまで言わずとも、済みの判子を押して処理済みボックスに入れてしまいたいのだ。年が明けて、ふとそう思った。決心がついた。だからこの記憶とお別れする準備が整ったんだと思う。2024やることリストに追加しておこう。

今年はどんな一年になるだろうか。いろんな変化がまたあるんだろう。その度に私の心は不安定になると思う。うまくバランスが取れるようになりたい。まだまだ見通しも立たないし、体調はちっとも万全ではない。だけど何となく、うまくやれる気がするのだ。だから今年出会った皆さん、今まで仲良くしてきてくれた皆さん、これから出会う皆さん、目の前でモゴモゴ言いながら相談を持ちかけるかもしれませんが、その時はどうかわたしを助けてください!