最後のモラトリアムとギャップイヤー

「恋人も欲しいけど、本当は“一人の人間と関係を積み重ねることができた“って実績が欲しいんだ思う」

ほんの1分前に今年は恋人を作る!と息巻いた友人はスタバでそう言った。社会人になって以降恒例となった年末の食事会。居酒屋で飲み食べ、まだ話し足りないよねと立ち寄ったスタバはほんの少し静かで、そのせいか話のトーンも少しシリアスだ。私も、と相槌を打つ。私も、本当に欲しいのは恋人がいることで得られる社会からの“きちんと関係を構築できる、おかしい所のないまともな人“という免罪符だよ。もちろん、そこには二人の間の信頼とか楽しみとかも欲しいから免罪符だけが欲しいという訳ではないけど。強いていうなら、お守りに近い。あってもなくても普段の生活は変わらないけど、何かあったときに心の拠り所になるし、実際に不躾な人からの「恋人はいないの?」「どうして?」なんていう質問から守ってくれる。(恋人がいることで面倒なこともあるけれど…)

私たちは高校の同級生で、付き合いとしてはちょうど10年経ったくらいだ。当時はこんなに長い付き合いになるとは少なくとも私は思っていなかった。大学生になればみんなまた各々別の友人との蜜月を過ごしてきっと忘れられてしまうし、忘れてしまうだろうと思っていたけれど何だかんだ年に2回は会う。私の人生の幸運の一つが彼女たちだ。いろんなことを話してきたけれど20代も半ばとなりそれなりに現実的な話も増えた。高校生の頃は一体何を毎日話していたんだろうか?

それでも私たちはまだ誰一人として結婚していない。だから「結婚はしたくないけど、指輪をはめて結婚しました〜!とは言ってみたいよね」なんてことも無邪気に言える。来年、再来年は言葉の意味ももっと違ってくるのかもしれない。海外に恋人のいるあの子は日本から出ていってしまうのかも。けれど私たちは現実という地面からまだ踵1センチは浮いて暮らしているから、この言葉にあるのは“経験したことのないことを経験してみたい“という無邪気さだけだ。

何だか暗い話になっちゃったね、なんて言いながら少しづつ楽しい話にシフトする。趣味の幅を広げたいんだよね、何かを作ってみたい、そろそろ海外旅行に行きたい、海外勤務の希望を出そうかな…。今までは何かハマっているもののプレゼンが始まったりしたけれど、みんな思うところは同じなのか結局恋愛の話と変わらず「新しいことを始めて自分の世界を広げたい」に終始していた。そして私も例に漏れず、退屈で単調な毎日の打破や将来の方向性を決めるべく“やりたいことリスト“を初めて作ってみた。

初のやりたいことリスト。100個書こうと思ったけど流石に厳しかった。

最初は一つやりたいことを見つけるのにも手こずったけど部門を用意したら案外スラスラやりたいことが出てきた。達成できればチェックをつけて年末に確認する予定。何年もやりたいと思っていたことや、最近見つけた興味のあること、やりたいというより“やるべき“こと。特に今年やりたいのは自転車での琵琶湖一周(北湖で150km、南湖合わせると全長なんと200kmある!)とボランティア活動だ。自転車での琵琶湖一周はビワイチと呼ばれていて北湖のみであれば道も整備されており迷うことはないのだそう。普段クロスバイクに乗っているとはいえ、1泊2日でも流石に急に150km走るのは厳しいし装備も整っていないので練習したい…と思って調べると、偶然家の近所がサイクルロードになっていることを知った。なのでまずはそこからかな…と企んでいる。

今までだったらこんなことは思いつかなかったし、やろうとも思わなかっただろう。そもそも私は割と体が弱いし、突然変わったことをすると翌日に体調を崩して臥せってしまうことも多いからだ。けれど私は仕事を辞める。疲労回復に十分な時間ができるのだ。

「今の仕事を辞めるならせめてご褒美に1年休もう」と前々から決めていた。もちろん経済的な余裕は大して無い。今から辞めた後の1年のお金まわりを考えては震えている。かじれる親の脛もないが、まあどうにかなるだろう知らんけど。とりあえず休んで、色々やってみて、今後どういうふうにキャリアを進めるのか決めよう。とにかくボランティアは前々からやりたくて忙しくてできなかったことの代表格なので外せない。調べると近くで子どもと関わるものがあった。学生時代に先生のバイトをやっていて子どもと教育にもう少し関わりたいと思い続けていたので、じゃあガッツリ関わる!という内容のものではないけどとにかくやってみようと思う。言うなればこれは大人のギャップイヤーだ。本来は高校を卒業してから取るものだけれど別に問題ないでしょう。それに今の方が何かやるにしても手順だとかやり方、その調べ方なんかを知ってるから怖がりの私にはちょうど良いのかもしれない。

このことを、たまたま以前好きだった人に話す機会があってふんわり話してみると「〇〇の勉強ってそんなガッツリやるものじゃないでしょ」とか「その資格は取って意味あるの?」と言われて心底鬱陶しかった。そうかもしれないけど、重要なのは“私がしたいと思った“ということ、それ自体なのだ。それにどれも彼自身は取得していない資格なので、自分が経験した訳じゃないのにそんなことを言うなんて退屈な人だなと思った。この人ってこんなにつまんない人だったんだな。でも私はこのどうしようもないほど退屈な、どこを切り取っても社会の最大公約数で自分を普通だと訳もなく信じているところが好きだと思っていたことを思い出した。やっぱり私は彼ではなく彼と付き合うことで手に入れられるステータスを欲していたのだ。上手くいかなくてよかった。私にとっても、彼にとっても。

こんな感じで、新年明けまして2週間程度しか経っていないにもかかわらず変化は私の中を止めどなく掻き乱し流れていく。さて、やることはたくさんあるし時間は有限。ひとまず私はポケモンスカーレットを地道に進めるところから始めたいと思う。