自分の好きな自分になりたい

おっ、となる瞬間がある。

例えば今日、夕方家の近所を散歩していたときのこと。いつも通りの散歩道を歩きながら(G)-IDLEのAllergyを聴いていると突然「私は私のことがとても好きだし、見た目も可愛いと思うし、身体も魅力的だと間違いなく思ってる」という気持ちがブワッと湧いてきた。そうすると少しだけ涙が出て、だけど昨日まで私の心を曇らせていた鬱々とした気持ちが晴れていく。丸まっていた背筋はピンと伸び、顔も上向き。気分が少し高揚して、もうアデルのHelloを聞く気にはなれないし、星野源のアルバム「ばかのうた」を繰り返し聴いて心を落ち着ける必要もなくなって、あいみょんの夢追いベンガルを大音量で鳴らした。何でもできる未来がある気がして、体の内側にあるエネルギーが沸々と外に出ていく準備をしていることに気づく。辛気臭い自分と快活な自分が入れ替わる音が聞こえるみたいだ。

最近の私は疲れていた。マジでめっちゃ疲れていた。人と会うことは楽しいし、私も基本的には断る気はない。嬉しいことに誘われることの多い人生だもん。ただ自分のキャパがオーバーしてることに薄々、いやガッツリ気づいていて、それでもそんな自分を無視した。人と一緒にいない時の自分は何者でもない気がしてそれが不安だったから。だけど本来私という人間は一人の時間がめちゃくちゃ大事なのに、不安の方に操縦桿を握られ息も絶えだえ。満身創痍というか、とにかく自分の時間を渇望する自分と一人は嫌だ!と暴れる自分に手をこまねいていた。

こうなるとどうなるかというと、他人に左右されまくるようになる。つまり依存っぽくなる。恋人が私の期待通りの対応をしてくれないと妙にショックを受けるのだ。あの、LINE返してくれへんかな!?(少なくとも1日以内に絶対返ってくるし、私の方は会話を続ける気が全然ない)とかね。そして私はそんな私のことが嫌いで、本当に不快でたまらなくなる。自分の軸が相手に寄りかかっていることに耐えられない。私がどこかへ行ってしまう。嫌だ、嫌だ。私は私のもので、この苦しみだって全部私のものだ!!はぁ…はぁ…とにかく休まねば。一人の時間を確保せねば。

しかし次の問題がある。私はめちゃくちゃ休むのが苦手なのだ。ちゃんとしなきゃ!という気持ちが強い分、未来を憂いたり何かしていないと落ち着かなくて、手が空くと「勉強とかするか…」と思い始める。そんなことしてたら休みにならないのは去年十分理解したので、絶対勉強とかしないように決めてベッドに倒れ込む。心臓がドキドキして体が緊張してるのを感じながら、「私は今休むをしている。休むをしてるんだよ…」と呪文のように唱えた。

それが効いたのか何なのかわからないけど、今日私は久しぶりに自分が自分のことをとても愛していて自信を持って素敵だと言えることを思い出した。こんなことを思えるのは身の回りの人が私を褒めてくれるからだと思うと、ありがたいな〜と感じる。私は昨日より少しだけ元気になった。あともう一週間くらいあればまた元気になれる気がする。わからんけど。

ところで、私はこういうタイミングで服が欲しくなる。自宅のクローゼットの服に不満を感じ始めたら気分がバチンと入れ替わる合図なのかもしれない。ウジウジした自分に嫌気がさすのか、それとも単に自分のスタイルに飽きるのか。髪型をコロコロ変えるので多分後者な気がする。今は明るい色の薄手のニットと、チュールスカート、重めのスニーカーが欲しいです。早く自分の好きな自分になりたい。

よくわからないまま泣きながらこれを書いている

よくわからないまま泣きながらこれを書いている。不安に思うことはきっと感じきれないほど山ほどあるけど、わかるところだけ。

一つ目。毎日いろんな予定があって、今、私の周りにいる人達は私のことをとても尊重してくれる。とてもラッキーだと思うし、私はそういう人たちのために誠実でありたいし丁寧で優しくいたいと思う。でもどうにもうまくやれてない気がする。大切にしたいと思うほど遠ざけたくなるのも私の中では事実で、大好きであるほど自分が相手の負担になっていて嫌われていくような気がするのだ。私は自分をとても身勝手だと思うし、母からずっとそう言われてきたから「治したい」という気持ちがとても強い。関係を大切に長く続けていきたいと思うほどに「嫌われたくない」という気持ちがどんどん大きくなって、本当はもうギリギリなのに大丈夫なフリをする。もっと好き勝手に生きてたって愛してくれる人は私を愛してくれるのに。好きなように生きて、好きな人に好かれたい。そう思って過ごしていた時に私を好きになった人は、自由に過ごす私をきっと嫌いにはならないはずだ。信じたい。

二つ目。結局私はいつになったら健康になれるのか。健康っていうのはなんというか、心身に、特に心の方に辛さがない状態のこと。20歳のころにはすでに適応障害になってしまって、泣いてばかりいた。どうにか起き上がって、就職して、それなりに仕事が好きで過ごしていたけど、それでもどこかで「世間的にマトモな私」にならなければ!ということを背中に感じながら暮らした。短い派手な髪とボーイッシュな服装は、それを自分らしく心地よく感じている反面、電車に揺られながら正面に座る女の子らしい女の子を見るたびに「こうならなければいけないのに」という気持ちになった。なんでそうなるのかはよくわからないけど。結局私はまた適応障害になったし、仕事を辞めて一年休めば大丈夫になれるだろうと期待していたけど、結局今も大丈夫じゃない。バスや電車にはまた乗れるようになったし、30分歩いても倒れそうにならないでいられるようにはなった。けど時々不安と恐怖に襲われて、頭の中は思考が新幹線並みの速さで堂々巡りする。関係のない事同士を繋ぎ合わせて自分にとって最悪のシナリオを作り、目が離せなくなって苦しむ。頻繁に夜はうまく眠れないし、頭の中はうるさくて、アンパンマンみたいに新しい顔に取替えて静寂と安定を手に入れられたらどれほどいいかと天井に懇願する。健康どころか双極性障害かもしれないらしく、本当に、いつになったら苦しくなくなるんだろうと毎年毎年願っている。まともに働けるようになるかな、心配してくれてるのに。頑張りたいと思うのに。なんで私はうまくやれないの。

たくさんの不安を抱える中で、誰か1人に頼りきりになりたくないという気持ちがあって、本当は全体重乗せて寄りかかりたいところだけど、それでもそれをグッと我慢している。だって、そうしてしまった時、その1人の支えを失ったら私は生きていけなくなるから。私は私の足で立って、この目とこの体でちゃんと生きていけるようになりたいから。

今、私は私が泣いている理由がわからない。私は多少不快なことでもそのままにしておいて我慢する癖がある。現に自室で使っているベッドのマットレスは、長年の使用で腰の部分が沈みやすくなっている。買い替えなきゃなぁと思いつつ、もう1年が経った。自室の色合いだって1ミリも気に入ってない。本当はもっと、雑然としたおばあちゃん家みたいに手作りのカラフルな布ものでいっぱいの部屋が好き。カーテンもベージュは嫌いだし、よくわからない柄の全然オシャレじゃないやつがいい。いつまでたっても母親の将来ばかり気にして自分の人生を生きたくない。ほんの少し期待はずれだっただけで裏切られる妄想に取り憑かれて関係を破壊したくない。自分を大切にして、周りの人を大切にして生きたい。信頼ってものをもう一度、この手に感じて暮らしてみたい。願いとも気付かないような当たり前の安心を誰かと握りしめたまま死んでいきたい。

そうなってほしい。もうこうやって泣きながら過ごす夜が1日でも減ってくれたらいいのにな。

音楽とわたしの2023

最近テレビを見る機会がめっきり減った。なんだか久しぶりに銭湯の待合でテレビをぼーっと眺めていると、見覚えのある姿が映る。知ってるなーこの人、私が小学生のころに起用されたお天気キャスターさんだ。その頃の彼が漂わせていたフレッシュな雰囲気はどこへやら、テレビの中の彼は実に慣れた調子でトークと進行を繰り広げている。その姿は、ただ毎日を過ごしている時よりもずっと時間の流れを感じさせてくれるものだった。

さて、年末をだらだらと過ごしていたら年も明けて2024になってしまったな。あっという間の一年だった。毎年そうかも?でも2023年は少し特別だったんじゃないかな。色んなことが起こったり、何もできなくて苦しんだり、そういう一年の中で覚えていることも忘れたことも山のようにある。だけどあの日、あの時聴いていた曲を引っ張り出して聴いてみればその時の景色も香りも感情も溢れ出すように広がってくれるから、また書きますね。いったい何があったかな。音楽と私の2023は。

これからどうするよ、1月

仕事を辞めた。やっと!あまりにも前のことすぎてもう覚えていないが、本当に毎日憂鬱な気持ちで通っていたせいか記憶の中の通勤路は全部グレーだ。ちなみに有休制度が存在していない最悪会社だったので有休消化からの退職という王道ルートを踏めるはずもなく、退職日である1月末まできっちり働かされた。

ちなみに私はこの2022〜2023にかけての年末年始に猛烈に体調を崩し、食事もまともに食べないか逆に過食しては吐いたり、起き上がるのもキツいけれどそれではいけないとどうにか家の周囲を散歩したりしていた。そのおかげで今では散歩が私の心身の調整に欠かせない日課になっているので、今となってはなるようになるなぁと少し感心している。


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ぼくそうです 

誰も真似できぬこと編み出してきた毎日

あいつら 

えばって何もしてないうちにこさえて持ってく

ニュークラシック

つまり肝心要の自分次第 

でも期待以上には応えたいじゃん

高いハードルはダッシュをしてハイジャンプ

出る杭がもっと出て黙らす外野

この自分でも引くくらい体調を崩していた最中にできることといえばYouTubeを眺めることくらいで、その時偶然出会ったピーナッツくんに完全にのめり込んだ。その中でも一番聴いたのがこの曲。原因不明の体調不良もマシになり、退職日も迫る中、私の頭の中はこれからどう生きていくのかわからない不安と何でもやりたい期待でグチャグチャだった。忙しく働く中で趣味や創作活動をする余裕も気力も体力もなくなって、私という人間の軸が失われたような気がずっとしていた。これからは自由に何でもできる。何でも作れるんだ!と思うと気分が晴れる気がする。働き出してから4年間、ずっと自分が周りと違う、ズレていることを気にして普通になろうと必死に仕事してきたけれど、正直無理です。出る杭ならもっと出てやる。そんな退屈な場所で働くお前らの普通にがんじがらめになる私じゃないんだから、指咥えてみてろよ。

 

どこまでも行けるらしい、3月

志摩スペイン村に、来た!理由はVtuber周央サンゴちゃんが志摩スペイン村とコラボするからである。

幼少期以来のスペイン村、しかも連れ合いはtwitterのフォロワーさん。この時点で彼女とは何度か通話したり、そもそも相互フォロワーになってから5年以上経っていたけれど、住む場所の違いもあり、現地にて初の対面だった。日帰りで行ける場所でもないので泊まりがけだったが、流石に信用できる人とはいえ全然得体の知れない人間である。こういう時の自分の勢いって何なんだろう?しかし結果的にとても楽しい2日間になったし、もちろん今でも仲良くしている。鵜方駅近くの超ローカルな居酒屋さんで食べるご飯はどれも美味しく、思っていたよりずっとお互い共通点も多くて楽しい夜だった。

手作りのぬいぐるみと車窓

スペイン村の最寄駅である鵜方駅までは近鉄特急に乗って行った。仕事が忙しかったり、そもそも遠出することの少ないタイプの人間である私は指定席の特急も、それにたった一人で乗ることも初めてだった。見知った大阪の街がぐんぐん後ろに流れ、田畑や海が顔を見せる。知らない街に一人で繰り出している高揚感が身体中に満ち満ちて、そこでやっと私は本当の意味で「自由な大人」なんだと知った。心地よい電車のリズムと車窓を流れる風景を眺め、この曲を聴きながら噛み締める。私は一人でどこに行ってもいいし、どこにでも行けるのだと。


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はりきる、焦る、焦る、5月

無職になって3ヶ月、私は焦り始めていた。先の見通しも立たず、流石に休みすぎなんじゃないか……と本格的に不安が頭をよぎるよぎる。モヤモヤし始めたら居ても立ってもいられなくなり、早速転職エージェントに登録。その上なぜかマッチングアプリにも登録して常にスマホは鳴り続けていた。立て続けに面談、面接、アプリの人との電話……。今にして思えば予定を詰めすぎだし、そもそも仕事を辞めて3ヶ月の間ただぼーっと過ごしていたのかといえば否で、その間私は前職の残業代未払請求をしたりなんやかんや動いていたので休んでなどいなかった。それ以外の時間は資格の勉強をしたりしていたし、その上転職活動に恋活まで手を出したんだから、過去を振り返って言えることは一つ。休め。

自分がどうすれば良いかわからない不安は焦りになり、焦りは本当に必要なことを忘れさせる。この時の自分は不安を払拭するために絶え間なく動いていた。毎日が少し怖くて、正気になって立ち止まったら不安に押しつぶされそうだったんだと思う。だから私はこの曲を聴いていたのだ。明るい気持ちになれるし、少し肩の力が抜ける。新年一発目に投稿されたMVがこれまた可愛らしく、例年通り軽く体調を崩して不安に包まれていた私をまた助けてくれた。ああ、ぽんぽこ・ピーナッツくん様様だよ。

簡単なことが難しい

そんならみんなでお気楽KING

ABCDEFG

やっぱりいつでもお気楽KING


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うごかなきゃ!9月!

7〜8月は地獄のようだった。もちろん暑さもあるけれど、それ以上に動けない2ヶ月だった。飼っていた犬が急に体調を崩し、高齢犬だったこともありそのまま介護となったからだ。急変に備えて自由に出歩くこともできず、この頃は家の中でひたすら時計の針が進むのを眺めていた。それに加えてマッチングアプリで出会ったやつとやりとりを続けていたのだけど、どうにも良い人なのだろうが絶妙に気が合わず、冗談もクソほどつまらないし不快だった。しかし当時の私は家に縛り付けられており、楽しいことも少ない。友人は地方に散っているし、働いてもいないからコミュニティからほぼ断絶されていた。話し相手もほとんどいないから、多少、いやかなり不快でもそれに気づかないふりをして関係を続けていたが、もう無理だ白黒はっきりさせたい!と思い、結果的に振られた。一時的な依存先がなくなり、その上犬も亡くなってかなり苦しんだが、「この苦しみは人とのコミュニティの中にいないせいで頼るところが少ないからだ。私に今必要なのは新しい環境と新しい人間関係!」と思い、常々気になっていたピアノ教室に通い始め、職業訓練校に申し込み、誘いは全て断らず一も二もなく飛びついた。この全てが結果的に大成功だった。9月の私、最高の仕事をしたね!まじで!


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人とコミュニケーションは難しい

だけど出来る気がするテレパシー

作業にハマれば意外と楽しい

そして褒めてもらえたらちょっと嬉しい

ちなみにこの月に私は人生初の一人旅に出た。目的地は宮城。出発の二週間前に思い立ち、初めて自力で航空券とホテルを手配した。一人で乗る飛行機には緊張したけれど、のんびり過ごす仙台・松島の2泊3日は自分に自信を取り戻すには十分だった。どこにいても私は生きていけるのだ。

松島はのんびり本を本を読んだり散策したり



なるようになるのか、11月

よくわからないことがよくわからないまま形になろうとしているような月だった。9月によくわからない誘いでもとりあえず受けていたら、文学フリマ京都で本を出すことになり、得体の知れない人間と頻繁に遊びに出ていたらその人と付き合うことになった。まあ私が詰めたんだけど…。思いの外、意図していたよりサクサクと物事が進んでいき驚く限りだった。調子の良い時は全てがテンポ良く運ぶというが、何だかあまりにスルスル〜と進むもんだから実感が湧かない。でも楽しいんだからしょうがない。

9月の行いが実を結んだのはそれだけじゃなく、申し込んだ訓練校に通うことになり、多くの友人と出会うことができた。苦しんでいた2ヶ月前が嘘みたいだ。それ以外にも新しい友人と出会うことになったり、本当に本当に良かったと思う。もう正直、この時点で20歳からの6年で一番いい年になったのは決定的で、全部が報われたような気持ちになる。外食が格段に増えたのでおそらく体重は増えているが、ストレス痩せで5キロ減ったのだから屁でもないわ。楽しそうで何より。良かったね、私。


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想像ができる ひとりでいること

2日目の湯船も 透き通っているんだろう

あなたがいない風に話すのも

5日目で慣れるだろう バレずに過ごすだろう

〜中略〜

これが最後の恋でも 理解はできるだろう

せめてそれまでは ふたりで ふたりで

たぶらかして生きていよう ダメになる時はなるでしょう

せめてそれまでは ふたり

11月になぜ少し後ろ向きなこの曲を選んだのかといえば、私がこの得体の知れない人間と付き合う決め手みたいなものの一つに「ひとりでいても大丈夫と思えそう」と思ったからだ。一人でいても怖くない、それでいて二人でいられたら少し嬉しい。そんな気持ちになれたことは、私にとってはとてもとても、ハッピーなことだったのだ。

 

ぐにゃぐにゃ変化の2023年

2023年は前半と後半3ヶ月で全く色味の違う年になった。疲れ切ってくよくよ凹んで、傷ついた前半戦を耐え抜き、今までの人生で培った予感と自分をコントロールする術を全動員して良い結果へ力技で持って行ったような一年だ。マジで良くやった。えらい。私は私をきちんと知って対処することができるようになったことを誇らしく思うよ。

それでもやっぱり元々の性格が不安を感じやすくストレスを溜めやすいのもあり、うまくハンドリングができない日も山ほどある。そういう時は動けない日に苦しいだけの時間を過ごしていたけれど、少し角度を変えて別のことをしてみるといいと教えてもらって、ついこの間焦りと不安で心臓がバクバクするような気持ちに襲われた時に大きな公園で全力疾走をしてみた。すると体の緊張が解けて、気持ちもスッキリした。別の日は、走るのではなくベンチに寝っ転がって頬に当たる風の冷たさや周りの音に集中してみると、やっぱり気分が変わって少し元気になった。大丈夫かもしれない、そう思える方法が一つ二つ増えていくことを嬉しく思う。

あとは、そうだな。私は人をうまく信用できない。正確に言うと恋人くらい近しい人をうまく信用できないのだ。理由はわかっている。不安を感じるたび、私の脳の片隅に父親の姿が浮かぶから。大人になってからの記憶だからまだ新しく、その上一番信頼していた人物が私を雑に扱った悲しみは思いの外私を苦しめている。けれどもう、鬱陶しいのだ。その記憶が。今まで後生大事に仕舞っては怒ったり悲しんだりしていたけれど、もうそんなことをしていても意味がないと思った。むしろ、これから私が健全な関係を築く足枷にしかならない。恋人と父親は別の人間なのに混同して混乱する。だからもう、ここらでこの記憶と決別したい。そこまで言わずとも、済みの判子を押して処理済みボックスに入れてしまいたいのだ。年が明けて、ふとそう思った。決心がついた。だからこの記憶とお別れする準備が整ったんだと思う。2024やることリストに追加しておこう。

今年はどんな一年になるだろうか。いろんな変化がまたあるんだろう。その度に私の心は不安定になると思う。うまくバランスが取れるようになりたい。まだまだ見通しも立たないし、体調はちっとも万全ではない。だけど何となく、うまくやれる気がするのだ。だから今年出会った皆さん、今まで仲良くしてきてくれた皆さん、これから出会う皆さん、目の前でモゴモゴ言いながら相談を持ちかけるかもしれませんが、その時はどうかわたしを助けてください!

なんにせよかわいい私

かわいいのだ、私は。

髪を数年ぶりに伸ばしてみたら驚くほどしっくり似合った。今までずっとショートヘア、なんならハンサムショートくらい短く刈り上げてそれを褒められてきたから私はショートヘアが似合うのだと思っていた。もちろんそれは何の間違いでもなくて、しかしその上ロングヘアまで似合ってしまう人間だったらしい。ただボブ〜ミディアムが強烈に似合わない。ショートヘアからロングにするには絶対に避けて通れない中途半端な髪の長さは叫び出したくなるほど私の顔に似合わず、いつもここで「やっぱダメだ!切ろう!」となるのだけど、どうしてもK-POPアイドルのようなスーパーロングに憧れてしまい切りたい気持ちをグッと我慢した。結果、最高の仕上がり。髪が長いほど似合うのでは?と鏡を見るたび思う。自意識過剰なナルシシズムだろうがそんなことはどうでもよくて、本当にめちゃくちゃ素敵なんです。私の髪は基本的に直毛なのだけど、コテでウェーブにするとこれまたひっくり返るくらい似合う。昔(と言っても二十歳の頃)の私は病んでいて陰鬱な雰囲気がロングヘアにより更に加速しているように見えて嫌いだったし、顔の周りを覆う長い髪が外と自分をカーテンのように隔てている気がして一刻も早く切りたかった。そんな印象のままだったからまさかこんなにも華やかで可愛らしい雰囲気すら出るとは思わず、毎日最高の気分です。元々年齢より上に見られてきた顔立ちや雰囲気がようやく本当の年齢に一致し出したようで、色気もあって素敵だなと我ながら惚れ惚れ。

ここまでずっと絶賛・自画自賛タイムだけどこの先もそうなのでついてこられる人だけついてきてください。私の顔立ちは特に美人でも可愛い感じでもなくどちらかというと目鼻立ちも小さく地味で素朴、言い換えれば上品な見た目。だから初対面で「綺麗ですね」と言われたことはない。けれど子どもの頃から今に至るまで「かわいい」と言う言葉には馴染みがある。それが見た目を指すのか言動や行動を指すのかは知らないけれど、後者だとして他人に「かわいい」と思わせられるんだからかわいいもんはかわいいんである。子どもの頃はやたら人形のポポちゃんに似ていて通りすがる婆さま方によくおひねりをいただいたし、小中高とかわいいと友人に言われたり、好意的な男性にかわいいと言ってもらえたり、大人になってからも同性の方にもそう言ってもらえる機会がありその度に良い気分、鼻高々、意気揚々、嬉しくて帰り道人目も憚らずにやにや帰宅する。

子どもの頃、鏡を見た私がまじめに「わたしってすごく可愛いよね」と言うもんだから母は爆笑した。ちょっとかわいいとおだてて育てすぎたかもしれない、と。たしかに客観的に見ればアイドルはおろかクラスのかわいい子にすら選ばれない程度の容姿である。それでもやっぱりかわいい、かわいいね。いくつになっても素敵だね。だからみんな私をニコニコ見つめるし、好きでいてくれる。面と向かって「かわいいね」と照れくさく言ってくれたあの人はもうこの先の人生に再登場しないけど、私が今日鏡を見て「かわいいね」と呟く言葉の源となってくれている。

26だし生き方なんて上手くない

26歳になった。思い出すのは小学6年生のころクラスでプロフィール帳が大流行し、その"結婚するなら何歳?"という質問に23歳と書いたこと。12歳の私が本当になんとなく書いた年齢からさらに3年経ったいま、特に結婚する予定はない。というか先月フラれたし。同級生が結婚予想年齢を18歳や20歳と書くところを横目に、大学を出てからがいいから23歳と書いた当時の私はのんびりしていたというか、リアリストというか。そもそも空欄を全部埋めるために絞り出した年齢が23歳で、結婚…するかなぁしたいか?とか思っていた。結婚式で純白のウェディングドレスを着て幸せそうに微笑む自分を想像するのは居心地が悪く、将来の夢をお嫁さんと書くクラスメイトのことを「誰かのお嫁さんになったから、なに?」という気持ちで見ていたりもした。

25歳を振り返る。25歳が終わって悲しいのはBTSのAirplane pt.2「25歳、上手い生き方は未だにわからない(日本語版;25だし生き方なんて上手くない)」という歌詞をそっくりそのまま25歳の私が共感することはもう一生できなくなってしまったこと。人生のポイントで年齢どおりの曲を聞くのは私の癖みたいなもので、16歳の頃は東京カランコロンの16のbeat、17歳のころはBaseBallBearの17才、18歳の頃はGaliloGalileiの18を聞いていた。10代のころは通してフジファブリックのTEENAGERを聞き、22歳の頃はたまに思い出したように神聖かまってちゃんの22才の夏休みを聞いたりしていたが、23歳の頃BTSにハマりAirplane pt.2の歌詞を知ってからというもの25の部分を23、24と自分の年齢に置き換えて聞くようになった。私にとってBTSはメンターみたいなもので、一番年下のメンバー・ジョングクとは同い年&同じ月の生まれだからこそ若くしてトップスターに上り詰め、ありきたりな青春を犠牲に努力し良い人であろうと努める彼らの言葉は私の背中を押した。幸せだけでなく辛い気持ちや悲しみ、怒りも歌にしてしまう彼らは私を孤独から掬い上げてくれた。2年もの間、彼らの声は私を支え続けた。

時によくなって たまにダメになって

今日は誰になってる? キムナムジュンor RM?

25だし生き方なんて上手くない

だからひたすらにただGO

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しかし25になったあたりでパタリと聞く頻度が減ってしまった。25歳は本当にたくさんやるべき事が生まれて今まで通りで居られなくなったのが大きいと思う。私は韓国語をほんの少ししか理解できないから彼らの歌は翻訳歌詞を読むか日本語版を聞かなければストレートに理解することができなくて、それをするだけの体力も精神力もなくなってしまったからだ。「25歳、上手い生き方は未だにわからない」と歌う当時25歳のRMと同い年になったというのに、私は彼よりもっとずっとちっぽけな気がした。彼のその賢さが大好きだったが、彼のような人物になれない情けなさもあった。25歳のRMが上手く生きていないのなら23歳、24歳の私は上手くなくて当然だと安心できたのに25歳になった途端本当に上手くいかないことが続いて大好きな歌詞をポジティブに受け止められない。現実が私に追いついてしまった。私はもう、彼らの歌をあまり聴かない。

そして、そうこうしている間に25歳は過ぎ去った。仕事を辞めたり、資格の勉強をしたり、転職活動を詰め込みすぎて体調を崩したり、16年一緒だった犬は骨になり、いい感じになった人との関係を破壊したり…。気分は塞ぐし疲れるし大変だったけれど、どれも初めて経験することばかりでいい経験になったと思う。あからさまな失恋は失恋ソングの重要性に気づかせてくれたし、友人たちは仕事の帰り道、残業後の深夜、恋人との旅行中であっても私が傷ついていると知ったら一も二もなく電話してくれた。世の中のわからないことが少しだけわかるようになって楽しめることが増えた。自分一人の頭と体でどこにでもいけるということも初めての国内一人旅で分かったし、知らない土地にいることと自室に篭って頭を唸らせていることは大して違わないことにも気づいた。私は孤独ではないし、繋がりのきっかけはそこらじゅうに転がっていて掴みに行けばいとも簡単に手に入る…。そんな簡単なことすら見えなくなっていた、というか初めから見ようとしていなかった。世界は思っているより楽しいらしい。苦しいことの渦中にいるときは日々をただ過ごすことすら真綿で首を絞められているかのようにうっすら息苦しい。でもそういう面だけじゃないのなら、これからの生活は楽しいものになると思う。予感がしてる。信じてる。祈っている。ワクワクする日々が26歳の私には訪れることを。

BTSは去年ソウルでコンサートを行った。私はコンサートに応募していないし映画館での同時上映か何かに応募することもなかったけど、ソウルの舞台で彼らはAirplane pt.2を披露した。25歳をとうに走り抜けたRMはあの歌詞を、何百万ものファンが見つめる中「29歳、上手い生き方は未だにわからない」と歌ったらしい。私は今日26歳になった。去年に引き続き、上手い生き方は未だにわからない。

ある日のこと

好きな人のことを考えていると世界はきゅっと縮まる。黒い画用紙に開けられた小さな点から世界を覗いているみたいに周りのことがよくわからない。頭は常にふやけてブニョブニョになったみたいに働かないのに、LINEのいちメッセージや電話でのやりとり、デートでの仕草や言葉を猛スピードで再上映しては裏があるのではと悩んだり運命だ!と身悶えたりするのに忙しい。体の中心がギュッと緊張して、相手に触れた手のひらは全身がそこを奪い合うみたいにむずがゆくなる。つまり全くの役立たずになってしまうのだ。

私は今そんな状況の中、電車に揺られている。少しだけ間隔が空いてしまったので少しひさびさに会えるのだ。やった!やった!

会っていない間に一人で出かけた動画を好きな人に送ってみた。こういうの嫌な人もいるかなぁと内心ヒヤヒヤしながら送り、伝えると「わざわざ撮ってくれて嬉しい。嫌だなんて思わないよ」と返信が。真っ直ぐ言葉で伝えてくれる人で助かった、これは命に関わるからね。

というわけで行ってきます!健闘を祈ってね。

思い出の中でまどろんでいたい

今週のお題「おとなになったら」

転職活動とマッチングアプリを同時期に始めてしまった。つまり、ものごとが動き出すのも同じ頃合いになるということだ。気になってしまったから勢い任せにスタートしたはいいものの全ての予定が一気に押し寄せてしまってかなり後悔している。しかも資格試験まで2ヶ月を切ってもいて、何においても勉強だろ!という日に私は布団であぐらをかきながら転職エージェントとアプリでマッチした相手にポチポチ返信しているのだった。

ああ、自分の時間がほしい。いや山ほどあるのだけど。なんやかんや時間を見つけてはNetflixを見たりしている。けどそうじゃなくて!何もしない私だけの時間がほしい。どうとでもなる未来や結論なんか出す気のない問いに考えを巡らせるような昼下がりがほしい。

恋人が欲しいかもと思って始めたマッチングアプリもいざ会うとなると面倒になった。楽しいと思ったやりとりも3日で飽きてしまうし、向こうが見せるほどの興味も私はあなたに持てない。それは実生活で何度も顔を合わせて徐々に親しくなる展開をすっ飛ばしているんだからきっとみんなそうで、そういうものなんだろう。けど本当は変化なんかしたくない。お気に入りの季節にずっと留まっていたい。前なんか向かずに終わった事を宝物のように眺めてセンチメンタルな気分に浸っていたい。でもそれじゃあ「何も手に入らなかった」と嘆いて斜に構えて、つまらないどころか嫌な人間になるのが目に見えている。それだけは嫌だった。

私が今嫌だ嫌だとだだをこねて喚いているのも、ひとえに手放すのが惜しいからでしかない。1年前の未熟で幼くて可愛い夢見心地な私を手放して、もっと現実的に物事を捉えて「そんなもんか」と理解した大人な私になるのが惜しいのだ。社会人になってからもそんな未熟さを含めて周りにとても可愛がられてきたから、そういう自分を手放すと後には何も残らない気がした。

だけどこれは最後の悪あがきなのかもしれない。小さな子どもが眠いのにまだ寝ない眠くないと言い張ってうずくまりメソメソ泣いているのと同じなのではないか。手放す準備はきっと私の中でもう十分にできているような予感がする。だって1年前ショートカットだった私の髪は今、肩甲骨に届こうとしているのだから。もし1年ぶりに会う人がいたならきっと「変わったね」と言われるだろう。体内の水分も細胞もすっかり入れ替わっているはずだ。どんなに抗って悩んでもどうしようもないのに……。

ああ、もうこの話はやめにしよう。結論なんか出す気はさらさら無くて同じところをぐるぐる回っているだけだから。いつかバターになってしまうぞ。だけどもう少しだけウジウジもにょもにょ、この悲しみと戸惑いの中をまどろんでいたい気もする。

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