思い出の中でまどろんでいたい

今週のお題「おとなになったら」

転職活動とマッチングアプリを同時期に始めてしまった。つまり、ものごとが動き出すのも同じ頃合いになるということだ。気になってしまったから勢い任せにスタートしたはいいものの全ての予定が一気に押し寄せてしまってかなり後悔している。しかも資格試験まで2ヶ月を切ってもいて、何においても勉強だろ!という日に私は布団であぐらをかきながら転職エージェントとアプリでマッチした相手にポチポチ返信しているのだった。

ああ、自分の時間がほしい。いや山ほどあるのだけど。なんやかんや時間を見つけてはNetflixを見たりしている。けどそうじゃなくて!何もしない私だけの時間がほしい。どうとでもなる未来や結論なんか出す気のない問いに考えを巡らせるような昼下がりがほしい。

恋人が欲しいかもと思って始めたマッチングアプリもいざ会うとなると面倒になった。楽しいと思ったやりとりも3日で飽きてしまうし、向こうが見せるほどの興味も私はあなたに持てない。それは実生活で何度も顔を合わせて徐々に親しくなる展開をすっ飛ばしているんだからきっとみんなそうで、そういうものなんだろう。けど本当は変化なんかしたくない。お気に入りの季節にずっと留まっていたい。前なんか向かずに終わった事を宝物のように眺めてセンチメンタルな気分に浸っていたい。でもそれじゃあ「何も手に入らなかった」と嘆いて斜に構えて、つまらないどころか嫌な人間になるのが目に見えている。それだけは嫌だった。

私が今嫌だ嫌だとだだをこねて喚いているのも、ひとえに手放すのが惜しいからでしかない。1年前の未熟で幼くて可愛い夢見心地な私を手放して、もっと現実的に物事を捉えて「そんなもんか」と理解した大人な私になるのが惜しいのだ。社会人になってからもそんな未熟さを含めて周りにとても可愛がられてきたから、そういう自分を手放すと後には何も残らない気がした。

だけどこれは最後の悪あがきなのかもしれない。小さな子どもが眠いのにまだ寝ない眠くないと言い張ってうずくまりメソメソ泣いているのと同じなのではないか。手放す準備はきっと私の中でもう十分にできているような予感がする。だって1年前ショートカットだった私の髪は今、肩甲骨に届こうとしているのだから。もし1年ぶりに会う人がいたならきっと「変わったね」と言われるだろう。体内の水分も細胞もすっかり入れ替わっているはずだ。どんなに抗って悩んでもどうしようもないのに……。

ああ、もうこの話はやめにしよう。結論なんか出す気はさらさら無くて同じところをぐるぐる回っているだけだから。いつかバターになってしまうぞ。だけどもう少しだけウジウジもにょもにょ、この悲しみと戸惑いの中をまどろんでいたい気もする。

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